こんにちは、このブログも今回で3回目の投稿となりました。いつも読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。今回は「なぜ副業をやろうと思ったのか」というテーマについて、自分の経験と心情を率直に綴っていきたいと思います。
目次
はじめに:自衛隊を去った後の現実
自衛隊をやめてから数年が経ちました。当時は新しい生活への期待と不安が入り混じっていたことを覚えています。「これからは自分のペースで生きていける」という期待と、「これまでとは全く違う環境でやっていけるのか」という不安。そんな複雑な心境で民間の世界に飛び込みました。
空挺隊員として誇りを持って過ごした日々は、今でも私の中で大切な記憶です。空から降下するあの緊張感、仲間との固い絆、明確な目標に向かって突き進む日々。それらが私の20代を形作ってきました。
しかし、その環境を自分の意思で離れ、普通の会社員として新たな生活を始めてからは、徐々に現実が見えてきました。それは決して悪いことばかりではなかったのですが、自分が思い描いていたセカンドキャリアとは少し違うものでした。
直視したくなかった現実
物価高と変わらない給料
最近の物価高は本当に生活を圧迫しています。スーパーに行くたびに、以前なら気にせずカゴに入れていた商品の価格を見て、少し考えてから手に取るようになりました。コーヒー一杯、パン一個の価格が上がっていくのを実感する日々です。
一方で、給料はほとんど変わりません。会社でも「景気が厳しい」「経営状況を考えると…」という言葉をよく耳にします。年に一度の評価面談では、「よく頑張っている」と言われながらも、給料アップにはつながらない現実。
自衛隊にいた頃は、特に空挺隊員として手当も含めると、一般の自衛官(首都圏や離島勤務を除く)と比較して恵まれた給与をもらっていました。それが当たり前だと思っていましたが、今思えば非常に恵まれていたのだと実感します。
片田舎での生活の厳しさ
私が住んでいるのは、都市部から離れた片田舎です。自然豊かで住みやすい面もありますが、経済的にはなかなか厳しい面もあります。
田舎暮らしの最大の課題は、車がないと生活できないことです。駅は遠いし、バスの本数は限られています。通勤にも買い物にも、車は必須のアイテム。そして車を持つということは、ガソリン代、車検代、保険料、税金と、常に出ていくお金があるということです。この固定費は生活の大きな負担になっています。
また、田舎ならではの問題として、携帯電話のキャリア選択の自由度が低いこともあります。格安SIMに変えたくても、この地域では大手キャリアでないと電波が入りにくく、通信費の節約も簡単にはいきません。
固定費を削ってもなお
生活が厳しくなってきたので、できる限りの固定費削減を試みました。不要な保険はほとんど解約し、サブスクリプションサービスも最低限に抑えました。NISAは始めていますが、投資に回せる金額はそれほど多くありません。
それでも、先ほど述べたように車や携帯電話などの必須費用は削減できず、ぎりぎりの生活を送っている状態です。月曜から金曜は車で会社に行き、土日祝はゴロゴロしてアニメやYouTubeを見たり、たまに友達と食事に行ったりする。ぎりぎり生活できていますが、貯金は思うように増えていきません。
そんな中で、ふと「老後はどうなるんだろう」という不安が頭をよぎるようになりました。人生100年時代と言われる今、このままの生活を続けて大丈夫なのだろうか。その疑問が、日に日に大きくなっていきました。
脳裏をよぎる自問自答
自分の決断は間違っていたのか
正直に言うと、この不安は今まで全く感じていなかったわけではありません。むしろ、自衛隊を辞める決断をした時から、心のどこかでは感じていたものでした。ただ、それを直視することが怖かったのです。
「自衛官を続けていればこんなこと感じなかったかもしれない」
この思いは何度も頭をよぎりました。特に元同僚と会ったときや、ニュースで自衛隊の活動を見たときなど、「あの道を続けていたら…」という思いが強くなります。
しかし同時に、自衛隊を辞めるという決断は自分自身でしたことです。その決断が間違っていたと認めることは、自分自身を否定することになる。そんな思いから、この不安から目を背け続けてきました。
「これでいいんだ」と自分に言い聞かせながら、心の奥底では常に「本当にこれでいいのか」という問いと向き合っていたのです。
時間だけが過ぎていく日々
そうして自問自答を繰り返しながらも、日々の生活に流されているうちに、気づけば1年、2年と時間だけが過ぎていきました。朝起きて、会社に行き、帰ってきて、食事して、寝る。休日は少しだけ息抜きをして、また月曜日から同じ生活の繰り返し。
言葉にすると単調に聞こえるかもしれませんが、この生活にも一定の安心感はありました。何も変わらないことの安心感。何も挑戦しなくていい安心感。でも、その安心感は次第に焦りへと変わっていきました。
30代中盤の危機感
気づけば自分も30代中盤の年齢になり、ふと現実を見つめ直したとき、「このままじゃやばくね」という強い危機感に襲われました。このままでは将来、確実に後悔する。そんな予感がしてきたのです。
結婚はもうほとんど諦めています。もちろん素敵な出会いがあれば別ですが、現状を考えると積極的に結婚を目指していくのは難しいでしょう。しかし、結婚をしなくても、老後は確実にやってきます。
人生100年時代と言われる今、60歳で定年退職したとしても、あと40年近く生きる可能性があります。医療の発展により、簡単に命を終えることもできない時代です。医者だって自分の名前のために簡単に延命をあきらめたりしません。
最悪の場合、ホームレスとなってまで生き延び、誰にも看取られずにこの世界からいなくなる…そんな未来を想像すると、それこそ自分の選択が間違っていた証明になってしまうような気がしてなりませんでした。
過去の自分と向き合う
空挺隊員時代の記憶
このままではいけないと思い始めたとき、私は空挺隊員だった頃の自分を思い出しました。当時の自分は何事にも臆することなく、困難に立ち向かっていく気概がありました。何より、「できる」という自信に満ちていました。
空挺団は自衛隊の中でも特殊な部隊で、厳しい訓練と高い士気で知られています。そこで過ごした時間は、私のアイデンティティの大きな部分を形作っています。その頃の自分は、どんな困難も乗り越えていく強さを持っていたはずなのに、いつからこんなにも弱気になってしまったのでしょうか。
初めての降下訓練
特に鮮明に覚えているのは、初めての降下訓練です。空挺隊員として正式に認められるためには、実際の輸送機から降下する訓練を経なければなりません。その日の緊張感は今でも忘れられません。
輸送機の扉口に立った瞬間、「今日が俺の命日かもしれない」と本気で思いました。下を見れば地上は遠く、人間が小さく見えるほどの高さ。時速約300km/hで飛行する輸送機から、高度300mの上空へ飛び出す。もしパラシュートが開かなかったら…そんな恐ろしい想像が頭をよぎりました。
「今まで育ててくれた親に何て言えば…」そんなことを考えていた時、ジャンプマスターの「降下」の声と共にお尻を叩かれ、否応なく空に飛び出したのです。
その時の判断は単純でした。「同期がみんな先に行っているのに、俺だけ行かないわけにはいかない」。恐怖よりも仲間意識が勝ったのです。そして、実際に降下してみると、恐怖は達成感に変わりました。「やればできるんだ」という自信が、その後の私を支えてくれました。
20代のマインドセット
20代の頃の私は、「何でもできる」と信じていました。それは根拠のない自信ではなく、実際に厳しい訓練を乗り越えてきた経験に基づくものでした。輸送機から飛び降りるという極限の経験をしたことで、「これより怖いことはない」という思いがあったのでしょう。
しかし、30代になって振り返ると、いつの間にか「負け犬根性」が身についていることに気づきました。「自分にはできない」「無理だ」「センスがない」そんな言葉が、思考の中で当たり前のように浮かぶようになっていたのです。
「あの空にジャンプしたときに一度死んだんだから、もういいんじゃない?」そんな言い訳を自分に言い聞かせていた部分もありました。しかし、それは本当の自分の姿ではないはずです。
転機となった言葉との再会
Youtubeとの出会い
そんな日々を送る中で、YouTubeでいろいろな動画を見ていました。特に、オリエンタルラジオで活躍されていた中田さんの動画は、私に大きな影響を与えました。彼の話を聞いているうちに、「本当にこのままじゃやばい」という思いが強くなっていきました。
また、リベラルアーツ大学の両学長という方の動画も見るようになりました。そこで語られている内容は、「こうやってやればいいのか」「これならできそうか?」と具体的な道筋を示してくれるものでした。
しかし、そこでも自問自答は続きました。「自分にできるのか?」「この人たちは運がよかっただけだ」「自分はこの人みたいにできない」「センスがないから無理」「パソコンなんかほとんど触ってこなかったのにできるわけない」
頭の中から出てくる言葉はほとんどがマイナスの言葉でした。自分を制限する言葉の数々。しかし、それは本当の自分なのでしょうか?
尊敬する上官の言葉
そんな時、ふと自衛官時代に尊敬していた上官の言葉を思い出しました。
「現状維持は退化」
この言葉は、当時は何となく聞き流していましたが、今になって強く心に響きました。上官は続けてこう言っていました。
「自分だけ現状維持して他のみんなは先に進んでいる。お前は相対的に見て退化してないか。それが嫌なら気づいた時から歩き出せばいい。スピードは遅くてもお前が前に進んでいるならそれは進化だ。できるって思わないと何もできないだろ」
この言葉を思い出したとき、私は自分がいかに自分に甘えてきたかを痛感しました。ずっと退化し続けていた。あの尊敬する上官の言葉に、ずっと背いて生きていたのです。
「現状維持は退化」という気づき
「現状維持は退化」という言葉は、私にとって大きな転機となりました。確かに、自分が停滞している間も、世の中は進んでいます。技術は進化し、社会の仕組みは変わり、人々のスキルは向上していきます。そんな中で自分だけが変わらないということは、相対的に見れば確実に後退しているのです。
そして、もう一つ重要な気づきがありました。「自衛隊やめた時点でセカンドキャリア始まってるのに何ビビって動いてないの」という自問です。自分は「定年まで働いて退職金をもらい、まだ体が動くうちに好きなところに旅行に行き、セカンドキャリアを始める」という理想の老後像を描いていました。しかし、実際には自衛隊を辞めた時点で既にセカンドキャリアは始まっていたのです。
それなのに、何も新しいことに挑戦せず、ただ日々をやり過ごしていた。この現実に気づいたとき、「今からこれからできることを精一杯やらなければいけない」という思いが強くなりました。
一歩を踏み出す決意
副業という選択
そんな思いから、私は副業を始めることにしました。本業の収入だけでは厳しい現状を変えるため、また自分自身のスキルアップのためにも、副業は良い選択だと考えたのです。
最初は不安もありました。「パソコンもろくに使えないのに大丈夫か」「時間的に両立できるのか」「本当に稼げるのか」など、様々な懸念がありました。しかし、空挺隊員時代の自分を思い出し、「やってみなければわからない」と一歩を踏み出す決意をしました。
今できることから始める
副業を始めるにあたって、まずは自分にできることから始めようと思いました。大きな目標を立てるのではなく、小さな一歩から。それが長続きする秘訣だと考えたのです。
また、「パソコンが苦手」という思い込みも捨てることにしました。確かに経験は少ないかもしれませんが、使えないわけではありません。必要なスキルは、必要になったときに学べばいい。そう考えると、心の負担も軽くなりました。
自分への甘えとの決別
この決断の裏には、「自分への甘えとの決別」という強い思いがありました。今までの自分は、「できない理由」を探して、行動を先延ばしにしてきました。しかし、それはただの言い訳です。
空挺隊員だった頃の自分なら、恐怖を感じても前に進んでいました。その頃の精神を取り戻し、「できる」と信じて行動することが大切だと気づいたのです。
そして、たとえ失敗しても、それは経験になります。むしろ、何も行動せずに後悔するほうが辛いのではないか。そう考えると、行動に移す理由が明確になりました。
おわりに:これからの歩み
こうして私は副業に踏み出しました。まだ始めたばかりで、大きな成果は出ていません。しかし、一歩を踏み出したことで、心の中に変化が生まれました。
「できるかもしれない」という可能性を信じることができるようになったのです。もちろん、不安がなくなったわけではありません。むしろ、新しいことを始めたことで、新たな不安も生まれています。
しかし、空挺隊員時代の自分を思い出すと、こんな不安は大したことではないと思えるようになりました。あの時、輸送機から飛び出した時の恐怖に比べれば、副業の不安など小さなものです。
そして何より、「現状維持は退化」という言葉を胸に刻み、少しずつでも前に進んでいきたいと思います。スピードは遅くても、前に進んでいれば、それは進化です。
今はまだ小さな一歩ですが、この一歩が将来の大きな変化につながると信じています。そして何より、行動を起こしたという事実が、自分自身への自信につながっています。
これからもこのブログでは、副業の経験や学びを共有していければと思います。同じような悩みを持つ方々の参考になれば幸いです。
最後に、尊敬する上官の言葉をもう一度。
「現状維持は退化。できるって思わないと何もできないだろ」
この言葉を胸に、これからも一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
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